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辛承理
研究にも天地返し
修士課程から一橋大学大学院へ進学し、博士後期課程3年目となった。自分の研究だけでなく、共同研究にも参加できた2023年度は反省も学びも多い一年だった。このタイミングで一度自分の問題意識が芽生えたときのことを振り返ってみたい。
はじめての調査は学部2年生のときだった。とりあえず色んな調査に行ってみたいとの気持ちで選択したゼミは各自で自由にテーマを設定し、合宿で調査を実施し、調査報告書を提出すればよいところだった。
そこであるお米農家さんと出会った。昭和21(1946)年生まれのAさんは中学校を卒業すると同時に家業である農業に従事し、稲作と大豆、野菜を手がけてきた。彼の幼少期の話を聞くと物心ついた頃から畑を手伝っていて、農繁期には学校も行かずに作業に夢中であったという。収穫した生産物は祖母がリヤカーで販売していたのだが高齢になっていくにつれて、販売もAさんの仕事となった。野菜が積み上げられたリヤカーを引っぱって家々をまわり販売している幼いAさんを町中のみんなが可愛がってくれたそうだ。全量をリヤカーで販売してきたために、農協や一般的な流通は一度も頼ったことがなかった。やがてAさんが大人になりはじめて市場で流通されている安価な米を知ったとき大変衝撃を受けたという。高度経済成長の時代にはいかに米の値段を安くするかが競い合われていて、どこで生産され、どう作られたものなのかも知らないものが販売されていた。その姿を目にしたときの絶望感は言葉にできない。
Aさんにとって米を作ることは単に農産物を作ることではない、自分が生まれ育った風土と自然と付き合い、生命を守ることであった。そういった信念のもとでAさんは地元の仲間を集めネットワークを作り、産直活動や水田トラスト運動を立ち上げ、今でも続けている熱い、熱い農家さんである。
当初農業問題に全く知識がなかった私が提出した報告書を今になって見返すと恥ずかしさしかない。単純にインタビューで聞いた内容と感想のみが書かれている。しかし、Aさんとの出会いをきっかけに市場、大規模な流通に目を向けない農家や、流通で販路を持つことができない農家のことが知りたくなった。その結果、大学の3年間は都内のあるファーマーズマーケットで働きながらそこへ出店する農家さんたちの話を聞いてきた。この貴重な話を自分はどう活かすことができるか悩んだ結果が大学院への進学だった。ありがたいことに、今でも学部時代にご縁となった農家さんたちにお世話になりながら研究と調査を進めている。
私が話を聞いてきた農家さんたちの共通点としては慣行農業ではない、有機農法や自然農法という生産方法を実践しているところにあった。そのために修士課程からは日本社会の有機農業をテーマとして研究をおこなってきた。農業と有機農業の勉強を重ねていくにつれてようやくAさんが感じた衝撃の意味や、農家たちが語っていた市場流通の規制・規格制度に関して理解ができるようになった。農家から「本当にもどかしいよね」という言葉をよく聞く。
2000年代から環境保全型農業が政策的に拡大するのに伴い、有機農業は推進すべきものとして位置付けられている。2021年に制定されたみどりの食料システム戦略では2050年までに耕地面積に占める有機農業の取組面積の割合を25%へと拡大していくとの目標も掲げられている。それにもかかわらず、現在でも有機農業は「特殊農法」という位置づけであり既存の流通システムに適合するもののみが有機農産品として認められている。しかし、そこに含まれない農業者たちが存在する。農法は農業者が選ぶものであり、そこにはそれぞれの文脈がある。有機農業を営んでいるにも有機農業と言えない現在の規格制度、自分自身で選択した農業を理解してもらえない状況に対しての言葉が「もどかしさ」であったと思う。
これまでインタビューをするときは必ず農家さんの畑作業を手伝いながら実施してきた。それは忙しい時間を割いて下さった農家さんへの感謝の気持ちと、彼らが一番落ち着く場で話を聞くためだった。しかし唯一、天地返しという畑の表面の土を掘り起こし、下層の土と入れ替える作業のときだけは質問どころかもはやしゃべることもできなかった。畑の一番基礎的な作業でありながら、一番労力のいる作業だった。今年は自分の研究においても天地返しということで、表面的な部分だけでなく下層の部分まで深く手を入れていきたい。
論文
1. 辛承理,2023,「幾重もの共同と協働」,赤嶺淳編,『クジラのまち 太地を語る――移民、ゴンドウ、南氷洋』,英名企画編集,303-326頁。
2. 湯浅俊介,⾟承理,⾚嶺淳,2024a,「韓半島東南部における捕鯨の記録①̶̶韓海に君臨した東洋捕鯨株式会社」,『⼀橋社会科学』16: 1-28.
3. 湯浅俊介,⾟承理,⾚嶺淳,2024b,「韓半島東南部における捕鯨の記録②̶̶韓国捕鯨の「挫折」と捕鯨政治」,『⼀橋社会科学』16: 29-57.
そのほか
【書評】
4. 辛承理,2023,「農地を守ることの意味――被災地における生活再建の営み:庄司貴俊著『原発災害と生活再建の社会学―なぜ何も作らない農地を手入れするのか』」,『週間読書人』3503: 4.
【聞き書き】
5. 辛承理,2023,「南氷洋、二五回も出漁してるんですよ 網野俊哉さん」,赤嶺淳編,『クジラのまち 太地を語る――移民、ゴンドウ、南氷洋』,英明企画編集,28-47頁。
6. 辛承理,湯浅俊介,2023,「もう海しか知らないもん 小貝佳弘さん」,赤嶺淳編,『クジラのまち 太地を語る――移民、ゴンドウ、南氷洋』,英明企画編集,64-85頁。
7. 鈴木佳苗,辛承理,2023,「あ〜、腹ラーセンや 世古忠子さん」,赤嶺淳編,『クジラのまち 太地を語る――移民、ゴンドウ、南氷洋』,英明企画編集,106-127頁。
KIWA(きわ)Vol.1, No.1