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小泉佑介
「きわ」を歩くこと
「きわ」を歩くことは、そんなに簡単なものではないように思う。確立した学問の端を行くのだから、いろんな方面から批判を受けて当然であるし、有意義な結果にたどり着かないまま、無駄足に終わってしまう可能性の方が高い。歴史を遡ってみても、既知の世界のきわ(=新世界)に出かけていった冒険者たちは、いつも常識からはずれた人たちばかりであったし、コロンブスやマゼランのように名声を勝ち得る者はほんの一握りであって、その多くは、何の功績も残せないまま、荒波と極寒によって息絶え、いまも冷たい海の底で眠っている。我々の「きわ」を歩くという試みは、大航海時代にヨーロッパから北極海を抜けてアメリカ大陸へ渡ろうとした勇敢で「気の狂った」冒険者たちと同じくらい、無謀なものであるように思える。
「きわ」を歩く人のことを冒険者といえば聞こえはいいが、今風に言えば「迷惑系Youtuber」の生き方が一番近いのかもしれない。新参者のYoutuberたちもまた、とにかく常識をやぶることに必死であり、その多くは誰の目にもとまらないまま、ときに世間からの冷たい目線に虐げられつつ、静かに消えていく。世界の「きわ」は莫大な富を得る可能性と、誰もそれを予測できない不確実性が混在するフロンティアであり、みな一縷の望みにかけて、無限の砂漠に挑んでいくのである(筆者がフィールドとしているインドネシア・スマトラ島の開拓地=フロンティアを生きる人々にも同様のことが言える)。我々が「きわ」を歩くということは、他者からの評価を得るためではなく、ただただ新しい世界への好奇心に突き動かされ、何も得ることがないまま途方に暮れるといった「無謀な行為の繰り返し」に身を投じることを覚悟しなければならないだろう。
このように考えてみると、世界の「きわ」(=フロンティア)は無法地帯であり、個人の腕力が成功を左右するものと思われてしまうかもしれない。しかし、ことはそう単純でもない。世界の「きわ」に目を向ける人たちは、どの時代においても、書物を通じて各地の歴史や文化を学ぶだけでなく、酒場に出向いて旅人から新鮮な情報を集め、同じ志を持つ友と一緒に小さなアソシエーションを組み、自分たちの世界観に共感してくれるパトロンを見つけるまで、せっせと人的ネットワークの拡大に努めてきた。新時代が開けるときにはいつも、クラブやサロンといった共空間/情報装置がその原動力となっていたわけである(『クラブとサロン――なぜ人びとは集うのか』NTT出版、1991年)。確立した世界ならば、誰でも1人で歩くことができる。しかし、世界の「きわ」を歩くためには、同じ志を共有する人々との「つながり」なくして不可能であり、コーヒーと酒の刺激が、すべてのスタート地点になる。
本稿の冒頭で「きわを歩くことは難しい」と書いたが、より具体的にいえば「きわを歩く(仲間を集め、同じ目標を共有し、その実現に向けてひたすら歩き続ける)ことは難しい」と言った方が妥当であろう。このKIWA会は2024年にスタートするわけだが、5年、10年経った後で、どのような新世界に到達できるのか、いまは全く見当もつかないし、そもそも明確なゴールさえ定まっていない。しかし、それでもやはり、世界の「きわ」に近づきたいという衝動を抑えられない筆者にとって、KIWA会の愉快な仲間と「無謀な行為の繰り返し」に身を投じてみることは、とてもワクワクするし、これからの研究人生の重要な転換点になるような気がしてならない。
KIWA──『きわ』Vol.1, No.1