top of page

Create Your First Project

Start adding your projects to your portfolio. Click on "Manage Projects" to get started

赤嶺淳

好きこそものの上手なれ

2014年4月に着任して10年がすぎた。

思いだされるのは3月31日に降り立った国立駅のホームで目にした満開の桜並木の絢爛さである。その数時間前に新幹線の車中から眺めた富士山も、澄みわたった青空と山頂部に残る雪のコントラストが鮮やかであった。このふたつの記憶は、その後にコロナ禍で合流するまで6年ほどつづいた単身生活を幾度となく励ましてくれた。

想定外の祝福に意気揚々としていた、その日の夜のことだった。豪州の提訴をうけて2010年からハーグ(オランダ)の国際司法裁判所で係争中であった南極海における日本の鯨類捕獲調査(調査捕鯨)について、「国際捕鯨取締条約違反」との判決がくだったのである。

新聞もテレビも「日本、敗訴」の話題でもちきりだったある日、見知らぬ編集者から捕鯨をテーマとする本の執筆依頼が舞いこんできた。10数年におよんだナマコ研究を2010年5月にまとめて以来、捕鯨問題に関心を寄せていたのは事実である。とはいえ、問題の大きさから踏みきれずにいたわたしも、ついに腰をあげざるをえなくなった。

勉強なくして研究はありえない。しかし、両者は異なる行為である。いざ、書こうとすれば、膨大な知識を自分の血肉と化したうえで、つまり借り物ではなく、自分のことばで「なにかあたらしい」ことを説かねばならないからだ。あたらしさは、史実・事実のこともあれば、着眼点・解釈のこともある。しかし、なにがあたらしいかは勉強しないとわからない。

2年半の粗くて雑な突貫工事ではあったものの、さいわいにも関係者の支援もあって、2017年2月に『鯨を生きる』を上梓することができた。原稿用紙300枚強という物足りないものであったが、当時の自分の力では、それが精一杯でもあった。

反省点の最たるものは、捕鯨業という近代的産業をあつかいながら、「資本主義」という視点が欠如していたことである。その欠点を自覚させくれたのは、カリフォルニア大学のアナ・チン(Anna Tsing)さんが2015年9月末に出版した『マツタケ』である。『鯨』の執筆が佳境をむかえていた2016年3月、縁あって同書の翻訳をすることになった。

日本にやってくるマツタケを題材としてグローバリゼーションを論じる彼女の分析のキレの鋭さと奥深さに、脱稿前から自著との質のちがいを痛感させられていた。もっとも世界の人類学研究を牽引するチンさんと比較するなど、おこがましいかぎりである。チンさんをもちだすまでもなく、すべては視野狭窄かつ貧弱な構想力に起因する。要は勉強不足だったということだ。

失敗の理由は、副題を「鯨人の個人史・鯨食の同時代史」としたように、「鯨食ありき」で執筆を構想してしまったことにある。たしかに当時、捕鯨問題といえば、鯨肉の是非─鯨食の伝統や正統性─をめぐる議論がもっぱらであった。だから、書く以上は硬直した議論に一矢を報いたいと考えていた。その意味では、①欧州でマーガリン原料とされた鯨油をもとめて戦前の南氷洋捕鯨が実施されたことを指摘するとともに、②江戸時代に捕鯨が栄えていた西日本を中心に今日の鯨食文化が継承されているという「鯨食文化の地域性」をあきらかにできたことによって、③「欧米は油だけとって、肉は捨てたけど……」的ないわゆる「捕鯨文化」論にもジャブは打てたと自己評価している。

しかし、1960年代まで欧州各国がマーガリンや固形石鹸、ダイナマイトの原料として渇望していた「世界商品」たる鯨油の重要性については、十分に自覚できていなかった。そのことが資本主義や近代化という社会科学が追究すべき課題に背をむけ、好事家的に捕鯨史を論じてしまった敗因である。

以来、わたしの苦悩はつづいている。それでも、うっすらとではあるが視界はひらけつつある。幸か不幸か2020年初頭にはじまったCovid-19の感染拡大によって、この4年間は「歩きながら考える」研究手法がつかえず、資料を読みこむ生活を余儀なくされた。そのおかげで、第1次世界大戦以降の世界において鯨油やパーム油、やし油(ココナツ油)、大豆油などの食用油脂のあいだで展開されてきた「『油脂間競争の興亡史』の解明」なる着想にいたり、2024年度から5年計画で「プランテーション新世における食の安全保障と人間環境保全─油脂間競争の視点から」という科研費プロジェクト(24H00119)を組織することになった。

現時点では、どのような成果をだせるか、心もとないかぎりである。しかし、コロナが明け、晴れてフィールドワークも可能となったわけだ。アブラヤシの原産地である西アフリカを歩いてみたいし、大豆の原産地とされる旧満洲地域のいまも体感してみたい。フィリピンで「命の木」(tree of life)と呼ばれ、日常生活のあらゆる面で利用されるとともに、一時はマーガリン原料としても重宝されたココヤシはどうなっているのか?

一説によれば、英国でマーガリン需要が爆発したのは、バターとの価格差だけではなく、工場で大量生産された食パンを、家庭に普及した電気トースターでカリカリに焼いて食べるというイングリッシュ・ブレックファーストが確立していったこととも無関係ではないようである。「卵か、鶏か」ではないが、マーガリンを主戦場として展開された油脂間競争をあとづけるには、「食」が工業化されていった過程にも目をくばる必要があるわけだ。

「食パンとマーガリン」をめぐる旅には、どんな出会いが待ちうけているのだろう?「これを知る者はこれを好む者に如かず。これを好む者はこれを楽しむ者に如かず」(知之者不如好之者、好之者不如楽之者)。孔子の教えを糧として、のこされた現役生活を完走し、つぎの人生を開拓していくためにも、能動的に出会いと思考をかさねる5年間としたい。

KIWA(きわ)Vol.1, No.1

bottom of page